2020/09/09 ビジネス

古い人には新しい業務を【アリペイ創業物語第18回】

いまや世界で5億人が利用するモバイル決済システム「アリペイ」。運営するのは、世界最大の非上場企業「アント・フィナンシャル」。本連載は、中国キャッシュレス社会を築きあげたフィンテック企業の公的伝記『アント・フィナンシャルの成功法則 アリペイを生み出した巨大ユニコーン企業』(発行:中信出版日本)を73回に分けてお届けします。
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 壇上で決意表明をしている多くの幹部のなかに、アリペイCEOに就任したばかりの彭蕾(ポンレイ)もいた。ジャック・マーがこの年度大会で厳しい批判を行ったのは、決してその場での思いつきではなかった。
 
 彭蕾はアリババ創業の「十八羅漢」(18人の創始者グループ)の一人である。アリババの公式記録映画『追夢者』(Dream Maker)の中の会社の創業初期の画面に、顧客面談会の席上で、まだ若い彭蕾が黒い帽子をかぶってシルクのスカーフを巻き、壇上で発言している様子が映っている。「私は本当にここにいるのが楽しいと思っています。ときには時間を忘れるほど仕事に没頭します」と熱心に語っている。
 
 アリペイに来る前、彭蕾はアリババグループのCHO(最高人事責任者)だった。彼女は、重慶の万州生まれで、1994年に現在の浙江工商大学杭州商学院の工商管理専攻を卒業し、その後、浙江財経学院で4年間教師を務めた。1997年、同じ学部の先輩にあたる孫彤宇(スントンユー)と結婚。のちに孫彤宇はジャック・マーと知り合い、ジャック・マーが北京で起業するのについて行ったため、彭蕾は退職して夫と一緒に北京へ行った。1999年、ジャック・マーが北京での起業に失敗し、杭州に戻りアリババを創立すると、彭蕾もアリババの創設メンバー「十八羅漢」のうちの一人となった。まったく先の見通しが立たないなかで、孫彤宇はタオバオの初代CEOとなり、タオバオの担保取引からアリペイが生み出された。
 
 彭蕾はかつて「金銭を扱う仕事はしない」と誓っていた。というのも、彼女の母親は農村信用社(農村部対象の金融機関)で勤め上げたのだが、彼女の記憶のなかでは、母はいつも落ち着かない人だったからだ。金銭とつき合うと、勘定を間違えたとか、偽札をつかまされたとか、貸した金が返ってこないとか、心を乱すことばかりが続く。しかしのちに、彭蕾はアント・フィナンシャルを新しい高みに連れて行くことになった。
 
 アリペイが混迷期にあるとき、ジャック・マーは自分に長年ついてきてくれた彭蕾に思い至った。「アリペイのCEOになってくれ」と彭蕾に伝えた。

 「どういうこと?金融のことなんてまったくわかりません」
 
 彭蕾はジャック・マーが自分をアリペイに異動させるなどとは考えてもみなかった。
 
 しかしジャック・マーにとっては、金融がわからないということは大きな問題ではなかった。彼は半分冗談のように彭蕾に言った。「私はあなたにはできると信じているよ。あなたはチームにこう言えばいいんだ。『私は金融がわかりません。でも、いつか私があなたたちよりも金融がわかるようになったら、あなたたちは大変面倒なことになるわよ』と」
 
 アリペイとアント・フィナンシャルののちの成長が証明するように、これもジャック・マーの非常に的確な人事だった。ジャック・マーはよく、「古い人には新しい業務を、新しい人には昔からの業務を」と言っている。アリペイ初期三代のトップである陸兆禧(ルージャオシー)、邵暁鋒と彭蕾は三人とも金融や決済畑の出身ではない。しかし三人とも旧来の金融と決済への理解を超越し、この超越思考が新しい衝撃を巻き起こした。
 
 2010年の彭蕾の任命は、アリペイ社内の「ひそひそ話」を引き起こした。多くの人が、人事畑出身のこの女性に決済のことがわかるのだろうかと疑問に感じていた。
 
 彭蕾は、当時たしかに決済の知識はなかったが、彼女の学習能力は極めて高かった。天賦の才と長年の人事関係の業務経験により、彼女は周囲の人や物事に対する勘を備えており、とくに人の気持ちに対する洞察力に長けていた。また、彼女は問題のポイントを素早くつかむことができ、この点は、彼女に業務報告をした多くのスタッフに強い印象を与えていた。葛勇荻によると、彭蕾は他人に対する共感力が高かった。彼女は、相手が何を心配しているのかを知ると、適切な方法で相手を説得したという。
 
 彭蕾によると、彼女の業務は「社員たちの世話をして、彼らの力を団結させること」である。彼女はいつもスタッフを激励し、チームを率い、会社のために価値を創造したいと考えていた。
 
 彭蕾の就任は外部に向けても戦略調整の意義を強く発信した。アリババとアント・フィナンシャルにおいて、戦略の変更はつねに人の交替である。ジャック・マーによると、戦略の本質は「計画の変更」ではなく「組織の変革」だからである。ジャック・マーは、戦略変更の際には三つの点を明確にする必要があると考えていた。一つは、誰がするか。二つ目は、組織にはどのような調整が必要か。三つ目はいかに審査基準をデザインするか、である。これは、ジャック・マーが彭蕾にアリペイの舵取りをさせたもう一つの意図だった。

 この時期のアリペイは、まさに「戦略混乱期」にあった。
 
 2003〜05年、アリペイの目標は明確で、「タオバオにいいサービスを提供すること」だった。その頃、アリペイは市場開拓について考える必要さえなかった。タオバオにサービスを提供してさえいれば、使命は完遂されていたのだ。アリペイにとって単純かつ楽しい時期だった。
 
 2007〜08年にかけて、タオバオは日の出の勢いで成長していた。アクティブユーザーの数を短期間で増やすために、タオバオは大量の広告費を投じてPRを行った。しかし、新規ユーザーが購入手続きに入ったあと、決済の失敗によって流出していることが明らかになった。この状況はタオバオにとって耐えがたいことだった。
 
 同時期のアリペイは混迷していた。2006〜09年、アリペイの幹部はアリペイを決済ツールと定義づけていたため、国内の十数行の重要な銀行のネットバンクとリンクすると、次に何をすればいいかわからなくなった。アリペイはタオバオ以外のシーンの開拓を考え、その間にプラットフォームとエコシステム(業界全体の収益構造)の関係、決済シーンと決済ツールに関する議論、消費者側のユーザーと売り手側のユーザーに関する問題など、多くの議題と考え方に関して討論をしてきた。
 
 この頃は競合企業が多く、サービスの差別化が不十分だったために外部の開拓を始めると多くの壁にぶつかった。同時に、アリババグループにおけるアリペイの位置づけに関する議論も激しくなった。タオバオへのサポートが不十分だと言う人たちもいたし、外部の市場シェアが足りないと考えている人たちもいた。このように足元が定まらないなか、アリペイのトップとスタッフには大きな圧力がかかってきた。
 
 今からふり返ってみると、この段階はちょうど青春の悩みのようなもので、すべての企業が成長の過程で避けられないものである。この時期に生まれた多くの思考はすべて、アリペイひいてはアント・フィナンシャル発展の源泉となっている。たとえば、快捷支付(クアンジエシーフ)、余額宝(ユーウーバオ)などのサービスはこの時期に着想された。
 
 しかし、彭蕾の着任時には多くのことが現在のように明確ではなかった。社員はジャック・マーの批判を理解しておらず不満に思っていた。アリペイ(支付宝)は「ユーザーの宝」ではなかった。決済業務の規模と売上げが良好でさえあれば、それでいいと考えていた。「決済は一種のツールだ。どこからユーザーが来るの?突き詰めていくと、やはりタオバオに頼るしかない」と社員は思っていた。
 
 この問題は彭蕾を悩ませた。2011年の着任1年半後のアリペイの株主変更記者会見の席上で、彼女はアリペイ業務モデルに関する憂慮を表明している。当時、彼女は「アリペイは、その発展過程で多くの不確実性に直面しています。たとえば、業務の発注元は比較的単一で、もっとも主要な業務の発注元はやはりタオバオというプラットフォームに基づいています」と語った。彼女はアリペイがまだ成熟したビジネスモデルと収益モデルを見つけていないことさえ指摘した。
 
 2010年、着任早々の彭蕾にとって目の前の任務は解決の糸口が見つからないほど混乱を極めていた。彼女は一方で、迅速に社員の共通認識を高め、アリペイを正しい軌道に戻さなければならなかった。また一方では、決済という自分にとって馴染みのない領域についてよく知り、自分のリーダーシップを強化し、会社の今後の発展のために方向を示す必要があった。
 
 この女性トップは、アリペイにとって重要な時期にどんな力を発揮したのか。

次回は、「第19回:ラクダ大会


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アント・フィナンシャルの成功法則 アリペイを生み出した巨大ユニコーン企業
著者:由曦
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