2020/11/25 ビジネス

独裁者か、それとも名宰相か、中国から見た井伊直弼

写真:Pixabay

中国の著者によって書かれた日本史の本——とても奇妙な作品のように思えますが、実は意外と興味深いものです。我々が知っている日本の歴史を通して、当時中国との比較、現代中国への暗喩、日本に対する正直な気持ちなどが随所に散りばめられています。この記事では、12月5日販売開始の新刊『明治維新の教え —中国はなぜ近代日本に学ぶのか』(中信出版日本)を一部抜粋して面白くなる「読み方」を紹介します。




日本で井伊直弼というと、どのようなイメージでしょうか?
日米修好通商条約の締結を強行した大老、安政の大獄で攘夷派の志士や幕府内の改革派を粛清した残酷な独裁者、多くの恨みを買い桜田門外で襲撃を受け殺害された政治家…、これらのどれかを連想される方が大半ではないかと思います。

いずれにせよあまり良いイメージではありませんが、『明治維新の教え』の著者・馬国川氏には我々のような先入観がないためか、客観的にこの人物を描いています。

<1853年、「黒船来航事件」が日本を震撼させ、幕府は藩主たちの意見を募った。その大多数が、外国人を追い出すための強硬策を主張したが、当時彦根藩主であった直弼は、「無謀な兵端を起こし、命を無駄にしてはならない」と反論した。
直弼から見れば、日本の国防は新技術の採用、特に戦争を通じてのみ保障されるが、そのような知識は、西洋国家との関係性に頼っていた。彼はこう言っている。「我々が直面している危機において、これまでの鎖国令を堅持するだけでは、国家の安全と安定を確保することはできない」。
直弼の観点は、理性的かつ客観的で、後世から見れば大変素晴らしいものである。だが、当時の人々には、「敵の気勢を高め、自分の威風をなくす」主張として強い反発を受けた>

武力衝突を視野に入れてアメリカの要求を拒否することは明らかに無謀であり、どんなに不利益な要求がされようとも感情に流されず何としても戦争回避を成し遂げることが現代においても常識的な判断でしょう。
しかし、外国の圧力に屈したこと、勅許を得られないまま調印したことが、大老を攻撃する絶好の口実となりました。この非難の嵐を封じ込めるために、暴力的手段を取ってしまったのです。

<直弼は、この局面を、柔軟な手段で各方面からの圧力や矛盾を緩め、共通認識を構築し、日本を改革開放に向かわせることで乗り越えるべきだった。しかし、気丈な政治家である彼は、妥協を好まず(これは専制政治家に共通する弊害かもしれない)、独断専行し、強硬な鎮圧に出た。反対派を大量に逮捕し、歴史的事件「安政の大獄」を引き起こした。
(中略)

専制政治の時代、このような反対派への残酷な弾圧は珍しいことではなかった。だが直弼は、日本が新しい時代に突入し、これまでのやり方が通用しなくなっていることに気づかずにいた。従来のような過酷な鎮圧を続けるだけでは、直面する危機を乗り越えることも、個人の安全や国家の安定を確保することもできない>

外国が次々と押し寄せ、あわよくば領土や利権を奪い取ろうと狙う帝国主義の時代に入っているにも関わらず、これに気づかず弾圧によって国内に分断を招くことは外国に干渉する隙を与えかねません。さらには国にとって有益な知識人たちを殺めてしまうことで国家発展が遅れることは必至です。

決断できる政治家であり、異論を封じ込める独裁者でもあったと、馬国川氏は井伊直弼を中国の読者に伝え、
そして、攘夷派浪士の凶刃に散った生涯を次のように評しています。

<もし、直弼が反対派に寛容で、その見識と勇気をもって日本の改革開放を推し進めていたならば、国も回り道をせず、彼自身も非業の死を遂げずに済んだのかもしれない。
権威とは、国の進む方向を変え、新しい時代を開けるものである。だが、その権威者に権威そのものへの明確な認識がなければ、権威の副葬品となってしまうかもしれない。それは、井伊直弼の悲劇が後世に発した警告である>

自らの権威が何たるかを理解せず、反対する勢力と向き合わない前時代的姿勢は、国の発展を遅らせ、さらには自らも破滅させかねないという権力者への警鐘ではないでしょうか。


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