2021/01/07 カルチャー

1990年代に私が欧米でなく「中国留学」したワケ

写真:PIXTA

中国の経済発展が進むにつれて、中国への留学を選択する人が増えています。文部科学省が公表しているデータのよると、2018年度の中国への日本人学生の留学者数は7,890人に上り、日本人の留学先として第5位にランクイン。しかし、私が中国留学したときは留学先として「中国」を選択する学生は本当に少ない時代でした。

今から四半世紀前の1990年代、私を含めた当時の若者にとってアジアよりも欧米のほうが身近。ファッションや音楽も欧米のものがお手本だったのはもちろん、わりと気軽に旅行にも行けた時代でした。

一方、海を挟んですぐ隣の中国は、私たちにとって近くて遠い国でした。映画『ラストエンペラー』で垣間見る清朝の絢爛な宮廷生活、テレビに映る紺色の人民服を着て自転車を漕ぐ信じられない数の人々、そして歴史に裏打ちされた高度な文化と圧倒的で底知れないパワー。そこに魅力を感じていた人も多かったはずなのですが、謎の多い国であることに変わりありません。

「なんで中国に留学するの?」

あの頃、私のまわりでは留学というとアメリカやイギリスなどの英語圏を目指す人がほとんどで、デザインなどの勉強にフランスやイタリアなどヨーロッパに行く人も少なくありませんでした。

日本の建築は技術もデザインも最先端。留学するなら欧米が当たり前。かくいう私もイタリア留学に憧れていた時期がありました。ところが、設計課題のデザインソースを探すうちに東アジアの環境設計の技術「風水」と出会ったことをきっかけに、興味の対象が中国に切り替わりました。風水の概念について知りたくて、東洋史の研究会に顔を出したり、図書館に通ったりもしましたが、情報があまりにも少なく、謎だらけ。

ならば「中国に行くしかない」。それが中国留学の動機でした。建築を学ぶ学生だった私が突然「中国に留学するの」と言うと、友人たちは「なんで中国に留学するの?」と目を丸くしたものです。

首を長くして待った受け入れ承認

留学するなら中国語ができなければ話になりません。中国建築史を研究するために大学院に進学した私は、2年次での留学を目指して語学学校に通い始めます。さぼりがちではあったものの、1年弱で中国語の基本はなんとか習得した(つもりでした)。

中国語を学習する一方で、留学先を探し始めました。当時、研究目的で留学する場合は受け入れ教授の承認が必須でした。幸い、風水を含む中国古代建築理論の第一人者を紹介してもらい「なんとか先生の研究室で受け入れてほしい」と手紙を書きました。今ならメールですぐに連絡がつきますが、当時は手紙の往復に1カ月かかったと思います。受け入れ承認の手紙を受け取ったときは、天にも昇る気持ちだったのを鮮明に覚えています。

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