2021/09/09 中国旅行

中国の歴史観光スポット ~春秋時代に思いを馳せる山東省の名遺跡~


戦車と馬が埋葬された後李春秋殉車馬坑

話を「後李春秋殉車馬坑」に戻します。

通常、最下級の貴族は1人につき1台程度の戦車しか保有できません。身分が固まるごとに、配下となる貴族も増え、多くの戦車を有することができます。そんな戦車が副葬品として一気に10台も出土したのです。


その戦車は、遺跡内に1列に並べられ、当時の形をほぼそのままの形で残してあり、しかも馬を伴っています。


さらによく見ると、馬も丁寧に寝かせてあったらしく、骨格がわかるほどきれいな状態で出土し、馬に付けられた青銅製のくつわなどもそのままの形で出土しています。

一説によると、この馬も刃物で殺傷したのではなく、なんらかの薬や頭部への衝撃などによって失神状態にしてから埋めたものといわれています。つまり、非常に丁寧に、おそらくは「あの世」に行っても被葬者が生活などで使えるように埋葬されていたことがうかがい知れます。

こうした状況から推測するに、この遺跡の持ち主、つまり被葬者は相当身分が高い貴族であった、もしくは王族であったのではといわれています。

推測の元になっている根拠の一つに、この遺跡が出土した場所があります。現在は、冒頭で述べたように山東省でも一地方都市の淄博市ですが、春秋時代のころは「臨淄」と呼ばれた春秋戦国時代の大国・斉の国の都があった場所。現在の山東省全域を治め、多くの人が行きかう政治と文化の中心地だったのです。

いったいどんな人物だったのか?それを思わせる文字記録はいまだ見つかっていません。きっと華やかな斉の都を颯爽として馬車で走っていた、優雅な貴族だったのではないでしょうか。

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